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第2回 カメラマン編
ベテランカメラマン・近藤厚氏に聞く
職業としての写真家とは?

2017/12/26

プロカメラマン 近藤厚氏
近藤厚 カメラマン
1964年東京生まれ。1985年よりフリーに。旅、食、人物など多方面の撮影で活躍。プロカメラマン歴は33年。

海外生活で学んだ「協調性」が仕事に活きている

――まずはカメラマンを目指された経緯を教えてください。

父の影響が大きいのかな。大正生まれだけど、当時としては珍しくカメラをもつ洒落た人だったんです。それで自然とカメラが身近にあったのはありますね。

高校時代、これから何をしようと考えた時に、勉強は嫌だった(笑)。それで、写真を撮ってみようと、カメラを持ってふらっと街に出かけたんです。横須賀に行った時、カメラを向けると、ノリがいいアメリカの軍人さんたちが応じてくれて。その写真が結構よくて、「もしかして写真のセンスあるかも」って思っちゃったんですよね。

それで、写真の専門学校に入って、卒業後はフリーで仕事を始めました。同級生たちはまずは貸しスタジオとかで修業する人が多かったけど、仲間に仕事を紹介してもらったりして、何とかスタートできました。

――その後は、順風満帆にカメラマン生活を?

まさか(笑)。実は、20代の時に見聞を広めたくて海外に行ってたんです。

カメラマンとして仕事を始めて数年後、(JICAの)青年海外協力隊の隊員として、写真を教えにヨルダンに2年半行きました。日本に戻ってきてから、まだ海外に行き足りないなと思って、さらにエジプトに3年。その時は写真とは関係なく、看護教育のプロジェクトの事務方としての任務でした。

――意外な経歴ですね。海外での経験で、特に記憶に残っている出来事は?

ヨルダンの時は写真の仕事だからこれまでどおりの感じでやっていたけど、エジプトのほうは勝手が違った(笑)。「どんなにいい仕事をしても、自分一人だったらうまくいかない」ってチームの人によく言われましたね。

看護の世界だから、人の命がかかわってくる。勝手な行動は許されない。それまでフリーカメラマンとして自由に一人で仕事をしてきたけど、自分のやっていることと周りがやっていることのバランスをとっていかないと、仕事って進まないんだなってわかった。チームの中で、自分が何をすべきなのかを考えるきっかけになりましたね。エジプトで学んだことは、今も仕事で忘れちゃいけないことだと思っています。

近藤厚氏

――帰国後はちょうど写真の世界でも、アナログからデジタルへの転換期に差し掛かっていたころですよね。ネガ・ポジのフィルムからデジタルへの移行は苦労されましたか?

デジタルの出始めのころは、フィルムのほうが絶対いい!と思って、結構アナログで頑張ってたんですよ。お客さんの中にも、「近藤さん、ポジで撮ってね」ってわざわざ指定してくる人も多かった。

だけど、デジタルの技術が進歩してきて、業界でデジタルのほうが主流になりだした時に、手探りで始めました。そしたら意外とハマっちゃった(笑)。小さな汚れとか、レタッチ補正でなかったことにできますしね。それに、(大量のフィルムを持ち歩かなくて済むので)カバンが軽くなったし、(フィルムの消費量を意識しなくていいので)撮影時のストレスも軽くなった! ただし後から補正が効く分、後処理の時間は大幅に増えましたが(笑)。

物語のある写真を撮りたい

――当社とは、20年近くのお付き合いになります。代表的なお仕事である健康保険組合向け広報誌『すこやか』では、10年前から旅記事の写真を担当されています。特に思い出に残っているロケは?

2012年に行った愛媛県の松山かなあ。それまで2泊3日でロケに行ってたけど、松山からは3泊4日で行くようにしました。そしたら、カツカツだった撮影スケジュールに余裕ができて、「あそびの時間」が生まれたんです。編集者から依頼された予定のカットをすべて撮り終えて、残った「あそびの時間」にもう一度市街地を歩く。そうすると、さっき撮った写真よりもよいものが撮れたり、その場所に対して、さらに奥まで入り込める感覚になったんです。

松山という街は、夏目漱石『坊っちゃん』や司馬遼太郎『坂の上の雲』の舞台なんですよね。どこかレトロさの漂う、文豪たちが描いた街。その中に、タイムスリップして、自分が溶け込んでいき、街の表情や面白さがさらに見えてくる。そういう余白の時間の重要性に気付いたのが松山でした。

愛媛県松山市 伊予鉄道
愛媛県松山市の伊予鉄道。『坊っちゃん』で「マッチ箱のような」と描かれた汽車が、路面電車に生まれ変わり市内を走る。

とにかくロケがキツかったのは、兵庫県の竹田城跡です。明け方に現れる神秘の瞬間を撮るために、近くのホテルに泊まって、毎晩12時に起きて夜中の1時に車を飛ばして現場に向かいました。それでも山を登ってみないことには、雲海が発生するかわからないんですよね。毎晩登るも、雲海は出ず。現地滞在の最終日の4日目、ようやく雲海が出て、「天空の城」が現れた。感動しながらシャッターを切りましたよ。体力的にもギリギリでした。あと一日遅かったら、体も無理だったかも(笑)

兵庫県朝来市 竹田城跡
兵庫県朝来(あさご)市の竹田城跡。雲海に浮かぶ荘厳な姿は「日本のマチュピチュ」とも評される。

――お気に入りの作品を教えてください

新潟県の星峠の棚田です。ここは、「人が美しい景色を作ろう」と思って作ったわけではなく、生活のために作られてきた棚田が、偶然の産物として絶景になってるんですよね。だから、景色としての完璧な美しさだけを強調するのではなく、人間の生活の営みや温もりを感じてもらいたい、そんな風に思いながら撮った一枚なんです。

新潟県十日町 星峠の棚田
新潟県十日町の星峠の棚田。古きよき日本の美を映した思い出の一枚。

――確かに水田に映る神秘的な空の色の美しさもさることながら、そこで暮らしてきた農家の人々の息遣いが感じられる写真だと思います。

前に編集者に言われたことがあるんですよね。「近藤さんの仕事には、スト―リーがありますね」って。おおー、伝わってるじゃんと思ってうれしかったです。写真には物理的に映ってない、そのカットの裏側にあるシーン。その物語を、写真を見た人にも伝えたいんですよね。

たとえば、熊本県で撮った橋は、廃線となった旧国鉄・宮原(みやのはる)線の名残り。ただの古びた橋ではなく、かつてここには列車が通り、人々の暮らしを支えていた。この写真は、そんな往時の雰囲気を少しでも感じてもらえるといいなと思って撮りました。

熊本県小国町 旧国鉄宮原線・幸野川橋梁
熊本県小国町の旧国鉄宮原線・幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)。昭和10年代にできたこの橋は、鉄筋の代わりに竹を使って作られた。

――カメラマンをやってきてよかったと思う瞬間は?

移動の途中ですね(笑)。撮影するためにどこかへ向かっている「途上」が、なんとも愛おしい時間なんです。電車でどこかへ向かっている。車窓から風景をぼんやり眺める。田んぼがあって、畦道があって、農夫が歩いていて、夕日が沈んでいく……。そんな時、ああこのまま現場に着かなければいいのに、なんて思うんですよ。あれ?これって、カメラマンとして失格かな(笑)

シミもシワも、その人の魅力

――当社以外ではどんな仕事をされていますか?

いろいろやっていますよ。駆け出しのころは、テレビのスチールの仕事もしてました。最近は、変わったものだと、オリーブの木専用のカタログの仕事などもしてます。毎年、何百というオリーブの木を撮りに行くんだけど、同じように見えて、どの木も表情がちゃんとあるんですよね。翌年また撮影に行くと、「お、元気にしてたか?」なんて木に話しかけたり(笑)。あとは人物のインタビューの撮影もしてますね。

――人物を撮る時に注意されていることは?

撮られた相手が、後で写真を見て、ちょっとうれしくなってもらえるように意識してます。「自分カッコイイじゃん」と思ってもらえるようにね。ご本人が気づいていない魅力を引き出せるといいなと。

ただね、先ほどデジタルは便利って言ったけど、小さなゴミとかを消すのはいいと思う一方で、シミとかシワとかオデキとかは消したくないんですよ。それを含めてその人の魅力だと思うので。

――プライベートではどんな写真を撮りますか?

プライベートでもカメラはいつも持ち歩いてるんですけど、意識して撮るっていうよりは、街並みとか何となく感じたものを、ここかなってシャッターを押してる感じです。撮った後も再確認はしないんです。特に誰かに見せるわけでもなく、何年かに一度、パラパラと見直して、こんなものを撮ってたんだなあと振り返る。日記みたいなものかな。

――〝相方″を紹介してください。

やっぱりこれ(カメラ)になりますよね。プロはみんなそうだけど、仕事の際は必ず2台持ち歩くようにしています。カメラが壊れているかもしれないし、何があるかわからないですからね。

ミラーレスにしている理由は、音が消せるから。セミナー会場などの静音が求められる場所に向いているんです。逆に、スポーツの試合などの場合は、ミラーレスだとオートフォーカスが追いつかない場合もあるから一眼レフにしたり、臨機応変に替えてます。

近藤厚氏
どこへ行くときも、手のひらには相方が。

文化包丁のようなカメラマンに

――プロのカメラマンとして心がけていることを教えてください。

まず体調管理です。体が資本なんで。撮影の前は、食べ慣れていないものは食べないようにする。生ものは避けますね。

そして、最終的な紙面全体の仕上がりを意識して、シャッターを押すことかなあ。ファインダー越しでは被写体に寄ったほうがバランスよく見えても、実際に編集者が紙面を組むときにはトリミングしたり、引いた写真のほうが使いやすい場合がある。どんな写真だと仕上がりのときに効果的なのか、そういうことを常に念頭に入れて撮影に臨んでいます。

――さすがですね。近藤さんは、撮影したデータをフォルダ分けしたり、ファイル名をわかりやすく付けたりと、きめ細やかなデータの納品などでも評判です。なぜそこまで気配りを?

一つずつ写真にファイル名を付けたほうが、自分自身もわかりやすいですからね。そんなに意識はしてませんよ。ただ、一緒に仕事をする編集者さんがやりやすいように、とは思いますね。一人じゃないからね。あっ、エジプトで学んだ「チームの中で仕事する」、我ながら忠実に実践しているなあ(笑)。

近藤厚氏

――それでは最後に、どんなカメラマンでいたいか教えてください。

専門家にはなりたくないっていうのはありますね。たとえば刃物でいうと、刺身はよく切れるけど、野菜は全然切れないみたいな包丁は目指したくない。文化包丁みたいに、どれもそこそこなんだけど、きちんとこれ一本で何でも切れます、というカメラマンがいいなあ。

あとはやるべき仕事をしっかりとしながら、その場その場でアドリブが効くこと。「あそびの時間」をうまく使いこなせるようになりたいですね。これがなかなか難しいんだけど(笑)。

――近藤さんのような豊富なキャリアを持ち、ていねいな仕事をしてくださるカメラマンと一緒にモノづくりができることを誇りに思います。これからもすてきな写真をお願いします。今日はありがとうございました!

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