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第5回 特別編
スポーツトレーナー・清水忍氏に聞く〈前編〉
トレーニング指導をするとき
心がけていることは何ですか?

2018/5/25

スポーツトレーナー清水忍氏
清水忍 スポーツトレーナー
(株)インストラクションズ代表 トレーニングジムIPFヘッドトレーナー
パーソナルトレーニングジムIPF
1967年生まれ、群馬県出身。1992年明治学院大学経済学部商学科卒。厚生労働大臣認定健康運動指導士。学生時代よりトレーニング指導に従事し、フィットネスクラブ運営会社での勤務経験あり。国際ホリスティックテラピー協会理事、横浜リゾート&スポーツ専門学校非常勤講師、ヒューマンアカデミー東京校非常勤講師、立教大学バレーボール部コンディショニングコーチ、プロ野球選手のパーソナルトレーナー(西武ライオンズ、広島カープ、オリックスバファローズ他)、『Tarzan』(マガジンハウス)に継続的に記事掲載中。

その人に合ったアドバイスをする仕事

――清水さんには、当社では、主に広報誌のエクササイズ系の記事監修をしていただいています。以前はWEB向けのエクササイズ動画でもお世話になりました。他社の出版物やテレビ、WEBメディアなどさまざまな方面でも活躍されています。マスメディアに登場されるときの清水さんの肩書は「スポーツトレーナー」とか「パーソナルトレーナー」ですが、具体的にはどういうお仕事ですか。

スポーツトレーナーやパーソナルトレーナーの仕事は、その名のとおり「トレーニングの指導をすること」です。プロアスリート、アマチュアアスリート、一般の人など対象はさまざまですが、その人に合ったトレーニングを指導します。

でも、スポーツトレーナーの仕事は、僕の仕事のうちの一部に過ぎません。現在の僕の仕事は、クライアントのリクエストに応じて大きく異なります。

クライアントがトレーニングを必要としていればもちろんトレーニングを指導しますが、教育が必要であればやりますし、栄養指導をすることもある。その人がヨガをすべきだと思えばヨガの指導者を紹介しますし、メンタルに問題を抱えている人であればメンタルのコーチを紹介します。

ですから、コーディネーターといったイメージのほうが近いかもしれませんね。自分自身では「フィジカルコーチ」と呼んでいます。「フィジカルコーチ」とは、クライアントの体力向上を目的として、クライアントが何をすべきかをアドバイスする人です。認知度の低い言葉なので、「スポーツトレーナー」や「パーソナルトレーナー」を使うことが多いですけれども。

――お仕事の割合としては、どういう状況ですか。スポーツトレーナーを養成する専門学校などで、教壇にも立たれているのですよね。

はい。以前は9割9分が教育の仕事でした。週7日間、朝9時から夜11時まで教壇に立っているという生活が、かなり長い間続きました。それである日、自分が何者かわからくなってしまったんです。

もともとトレーニングの指導が好きでこの仕事を始めたのに、実際のトレーニング指導はせず、学生に理論や知識を伝えることだけを何年もしていたので、ある日ふと「オレ何やってるんだろう?」と思いまして。

それで、少しずつトレーニング指導の仕事を増やしていって、4年前に自分のパーソナルジムを立ち上げました。今は教壇に立っているのが3割、ここ(パーソナルトレーニングジム)で指導しているのが4割から5割、残りはマスメディアやセミナーの仕事などです。

スポーツトレーナー 清水 忍

“トレーニングの必要がない”怪物の話

――トップアスリートのトレーニング指導もされているとのことですが、彼らは体のつくりもめざすところも普通の人とはまったく異なりますよね。印象に残っているアスリートはいますか。

トップアスリートたちを見ていてつくづく思うのは、すごい身体能力をもった人間の集合体なんだなということです。

そのなかでも印象深かったのは、実名は挙げられませんが、あるプロ野球選手です。彼はいわば“トレーニングが必要ない”ほど能力の高いアスリートです。

4年ほど前、僕が指導している別のプロ野球選手から「ちょっとみてやってください」と紹介されました。お会いすると、それはもう筋骨隆々のすごい体をしているんです。それで、「じゃ、まずはスクワットやってみようか」って言うと、「え、なんですか?」って聞いてくるんです。耳を疑いましたが、スクワットを知らなかったんですよ(笑)。ウエイトトレーニングも一切したことがないらしく、バーベルの上げ方もベンチプレスもまったく知らないんです。野球の名門として知られる高校を卒業して、大学野球を経てプロ野球選手になった人ですよ。

「高校時代、どうやって鍛えてたの?」って聞くと、「どでかいタイヤ引っ張ってました」って言うんです(笑)。

それで、正しいウエイトトレーニングのやり方を教えると、ほかの選手が何年もかけてやっと上げられるようになった重量を、ほんの1週間で上げちゃったんです。その時、「あ、この人にはウエイトトレーニングは必要ないんだな」と思いました。彼にはすでに、プロ野球選手に必要な能力が十分すぎるほど備わっていたわけです。

彼は今、一軍でホームランバッターとして大活躍しています。僕が見たアスリートの中でも特別な、“トレーニングの必要がない”ピカイチの怪物ですね。

――いま、極端な例をお話しいただきましたが、トップアスリートでも、きちんとしたトレーニングは必要なんですよね(笑)。

あ、もちろん、そうです! でないと、僕の存在意義もあやうくなってしまいますね(笑)。きちんとした目的をもち、科学的な視点に立って、より効果的なトレーニングをすること、それはとても大事なことです。ただ、普段の練習以外に特別なトレーニングなんて必要のない人も中にはいるんです。

それと、先ほどのプロ野球選手の話でもわかるように、残念ながら日本のスポーツ界では、高校でも大学でもトレーニングというものに対する意識が低いです。高校や大学の部活にはプロのトレーナーを雇うような予算がありません。ですから、その道をある程度極めた人が指導者になって、トレーニングも自己流のものを教えているというケースが多いです。

そして、プロスポーツ界においてさえ、プロのトレーナーをつけてトレーニングをしているのは少数派といえます。僕のジムにはプロ野球選手やJリーグの日本代表クラスの選手も来てくれていますが、彼らに話を聞くと、いまだに専用のトレーニングルームがないチームもありますし、トレーニング方法も個々に任せているところが多い。トップ選手は年棒も高いので個人でトレーナーを付けている人もいますが、そうでない選手のトレーニング環境は良好とはいえません。

スポーツトレーナー 清水 忍

バーベルとの出会いと異業種での経験

――清水さんのこれまでの経緯について、お聞かせいただけますか。そもそも体を鍛えることに興味をもたれたのはいつごろですか?

中学時代にさかのぼります。小学生のころに地元の柔道場に通いまして、中学でも柔道部に入ったんですが、柔道の経験者が一人もいなかったんです。要するに僕の敵になれそうなヤツがいなかったわけです。練習しても周りが弱すぎて全然おもしろくないから、練習する気になれない。で、ある日、道場の隅にバーベルがあることに気づきました。ふと持ち上げてみたら、これがなんとも刺激的だったんですよ(笑)。

よく登山家が山を登る理由を聞かれて「ただそこに山があったから」とか言いますけど、僕にとっては「ただそこにバーベルがあったから」という感じですね。中学生で、ちょうど体も発達してくるころで、鍛えるとどんどん体が変化していって。友だちからも「清水の二の腕スゲエな」なんて言われて、ますますいい気になっていきました。

それ以来、高校時代も浪人時代もトレーニングは続けました。大学に入ると、すぐにフィットネスクラブでインストラクターのアルバイトを始めました。理由はもちろん、好きなだけトレーニングできるから(笑)。

――中学時代に柔道場の隅でバーベルと出会ってからずっとトレーニングを続けてこられて、大学生になって、アルバイトとはいえ、本格的なトレーニングの世界に足を踏み入れられたと。そしていよいよ就職ですね。

就職先は某フィットネスクラブの運営会社でした。入社して3年間スーツを着て事務方の仕事、販売促進をしました。3年後に面接がありまして、会社の幹部から「これから何をやりたいんだ」と聞かれて、「現場でトレーニング指導をしたいです」って即答したんです。そうしたら「お前バカか?」と言われて。現場なんか行ったら出世できないぞ、と。

「ああ、フィットネスクラブの運営会社で働くってそういうことか」と思って、見切りをつけて辞めました。まあ、今思えば若気の至りで、全体のことも考えられずに辞めたわけですね。

そのあとは波乱万丈というほどでもないですが、いろいろありました。神戸のほうへ行って不動産屋で働いたり、飲み屋で雇われ店長をやったり、実家の家業を継いだり…。不動産の仕事をしていた時は、ロン毛にダブルのスーツを着て、いかにもそれっぽい格好をしていました。運動をまったくしなかったので、ウエストが100センチを超えるほど太りました。

でも、その7~8年間は、僕にとってとても貴重な時間でした。子どものころからずっと運動をしてきて、フィットネス業界に就職するほど、いわば「運動オタク」「トレーニングオタク」だった自分が、運動を一切しない側の人間になって、そういう人たちの気持ちが、本当によくわかったんです。
「自分が生きてきた世界って、一部の人にとっては当たり前だったけど、多くの人にとっては特殊な世界だったんだな」と思いました。

――ということは、一度フィットネス業界から離れて、いろいろな経験をして、カムバックされたわけですね。

そうです。群馬の実家の会社を継いで、一時期は業績も向上したんですが、いろいろあって結局会社は畳みました。それで、さあ、このあとの人生で何やろう?と考えた時、やっぱりこの業界しかないと思ったんです。

再スタートは、地元のフィットネスクラブのインストラクターで、時給800円のアルバイトからでした。大学時代にやっていたアルバイトと同じ仕事ですね。その時の年齢が33歳くらいで、フィットネスクラブの支店長よりも僕のほうが年上でした。

ただ、やっている仕事は大学時代と一緒でも、僕自身はいろいろな人生経験を積んだことで変化していたので、勉強の仕方、仕事への取り組み方がまるっきり違いました。先ほどの運動を一切しない時期を経て、運動をしない人の気持ちがよくわかっていたので、どうやったらこの人たちにわかってもらえるか、どうやったら自分のエゴの押しつけでなく本気で取り組んでもらえるか、といったことばかりを考えて仕事をしていました。そういう意識で働いているうちに、どんどん自分の知識のレベルが上がっていきました。
そのころですね。ようやく目が覚めたといいますか、本気でこの業界でやっていこうと思ったのは。

スポーツトレーナー 清水 忍

オレって、何てわかりやすく説明できるんだ…

――その後、専門学校での講師の仕事をされていくわけですね。

フィットネスクラブのアルバイトを続けていたら、昔からの知り合いが「お前、知識の安売りをするな。すぐに東京に出てこい」といって専門学校の講師の職を紹介してくれました。お金の話をしますと、時給800円のアルバイトですとどんなに働いても月収15万円くらいなんですが、講師になった翌月から月収が60万円になりました。

その講師の仕事をしている時期にいろいろなクライアントを紹介してもらえて、いろいろな専門職の先生方とのつながりをもつこともできて、自分の知識の足りないところが補われていきました。そして数年後、あるプロ野球選手を紹介してもらってトレーニングの指導をしたのが、本格的なパーソナルトレーナーとしての最初の仕事でした。

――ご自分で、この仕事に向いていると思ったのはいつでしたか。

自分で言うのもおかしいですが、「オレって、何てわかりやすく説明できるんだろう」って思う瞬間がありまして、その時ですね。相手から「あ~!そういうことか」というような顔をされて。それは、30歳を過ぎてこの業界に入り直した、アルバイトの時期です。フィットネスクラブに入社してきた新入社員を相手に、アルバイトの僕が研修の講師をしたんです。

彼らは、そもそも体育大学やトレーニング系の専門学校の出身者で、入社後に本社が行う新入社員研修を経て現場に派遣されてきます。でも、必要な知識がしっかり身に付いていなかったんですね。そんな彼らに僕が研修で教えると、「今の説明でやっと腑に落ちました」「学校で習ったのって、こういうことだったんですね!」というようなことを言ってくれました。

そのころの僕は、やる気がない人にどうしたらわかってもらえるか、わかってくれない人にどうしたらわかってもらえるかを念頭に勉強していました。自分が理解するために勉強するのではなくて、誰かにそれをわからせるために勉強する、いわばアウトプットありきのインプットですね。そういう姿勢や意識が、伝わりやすさにつながったんじゃないかと思います。

〈後編〉に続く

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